「飲酒運転」
飲酒運転は、やっていないつもりでした。が振返ってよく考えると、毎日の朝の通勤は飲酒運転でした。アルコール依存症で入院する事を会社に届け出た時に、会社の看護師が慌てて、私の所に来た。「車の通勤は飲酒運転ではないか?」と、確認に来たのである。
断酒の原点 診療所
2001年暑い8月、ヘロヘロ状態で姉につれて来られたのが北浦和の診療所である。親切に点滴をしていただき、助かった。その時は姉も「かなりやばい」と思ったらしく、自分もつらかったので「入院させてくれ」と言ったがさすがにこれは断られた。
一人じゃない
もともと人見知りだった自分が唯一人を笑わせたり、会話に入っていける道具、それがお酒だった。その時は思っていた、お酒があって初めて普通の人と会話ができるし、笑える。だから、シラフの自分は普通じゃないんだと、、、、。
語るは最高の治療
「薬は百薬の長」という諺がありますが、「薬は百害の長」になってしまいました。私は酒を上手に飲めなかったのです。
簡単に自己紹介をします。年齢は74歳、家族は妻と2人の娘、孫3人ですが、娘は2人とも嫁に行き、現在は妻と2人暮らしです。仕事はしています。断酒会に入会して24年になります。
私と断酒会
私が断酒会と出会ったのは今から13年前の事です。入会する3年前に初めてアルコール専門病院に入院し、病院のプログラムで例会という名前を聞き初めて参加した時の事は今でもハッキリと覚えています。
“感動”と“共感”の断酒学校
毎回、断酒学校が近づくと遠足を待ちわびる子供のように指折り数え待ち遠しい気持ちになります。
開校式が始まり会場内を見渡すと「今年も寂しいなぁ…」正直これが第一印象でした。しかし断酒学校・研修会でしか会えない仲間との再会が毎回そんな気持ちを掻き消してくれます。
体験談
私は、3年前の5月に断酒会に入会させて頂きました。51才でした。
あの時、断酒会に繋がっていなければ、身体も心も底を付き、よく言われる、アルコール依存症の平均寿命52才、すなわち今頃はこの世に居なかったのではないかと思います。
私の共依存
夫のお酒の問題にはっきりと気が付いたのは2年前の2月末頃のことでした。隣組の寄り合いで焼酎を薄めずにそのままあおり、足腰のおぼつかない状態で帰ってきた時のことです。近所の親戚でもある方が連れてきてくれたのですが「大変な事になっているぞ」と言われた一言で私はハッとしました。
入会して救われた私
お酒を飲むのが好きで、友人との会食や夫との晩酌で楽しく飲んでいたはずの私の飲み方がおかしくなり始めたのは、今年二十歳になる子供が二歳になる頃からでした。
初めての子育て、夫の地元引っ越しで、見栄っ張りなところがある私は全部きちんとやらなくてはと思い、でもうまくいかずに悩みました。
飲まなくても、大人とみられたい
「あなたは、アルコール依存症ですよ」医師にそう言われたのは今から8年前のことでした。私は当時、ボーとした頭でそれを聞いてました。ある日突然アルコール依存症になる訳もなく、罹患した経緯をこれから少し記述したいと思います。
子供の頃、私の周りの大人、特に男の人は皆飲んでいたこともあって、大人っていうものはお酒を飲むものだと思っていました。逆に飲めるようになれば、自分も大人の仲間入りが出来ると思っていたような気がします。