「薬は百薬の長」という諺がありますが、「薬は百害の長」になってしまいました。私は酒を上手に飲めなかったのです。
簡単に自己紹介をします。年齢は74歳、家族は妻と2人の娘、孫3人ですが、娘は2人とも嫁に行き、現在は妻と2人暮らしです。仕事はしています。断酒会に入会して24年になります。
私は18歳で上尾市の会社へ入社して、先輩にお酒を鍛えられて、1人前に飲めるようになりました。
酒の小売店の飲酒で始まり、居酒屋、スナック、キャバレーとはしご酒が時々ありました。結婚は早く私は22歳、妻が20歳で、妻の青春時代は子育でした。「私の青春時代は無かった」と時々言います。
結婚しても毎日の晩酌が長年続き、40歳代半ばには、医師からアルコール依存症と診断されました。33歳から17年間続く不眠症、毎日が憂うつで言葉に表わせないほど、本当に辛かったです。
医師は神経衰弱と診断し、薬は安定剤と眠剤でしたが、いまで言う「うつ病」だったと思います。深酒の理由がそれで納得できるのです。当時は県内の病院はもちろん大学病院でも治りませんでした。
苦しくて、ある時は橋の上から飛び降りて、自殺をしようと思ったこともありました。妻からは「また飲んだら、離婚届をだすからね」と時々言われていました。情けない思いも味わいました。
丁度二千年の50歳2月に、会社で永年勤続30年の旅行へ3泊で出かけましたが、その旅先では、旅行カバンにワンカップを詰め込み、飲酒をしていました。
今だに何処へ行ったか覚えていません。妻には悲惨な記念旅行だったと思いました。
また、この年の6月には、あまりの依存症のひどさに妻と娘に逃げられました。2人は何処に居るか行方不明でした。
数日して家庭裁判所から連絡があり、月に一回の調停でした。調停が6ヶ月続いた12月に、ここまで来てやっと、もう一度やり直そう。変りたい。元の生活に戻りたい。と断酒の決意ができ、妻と娘に戻って来て頂きました。
翌年の春、一から出直す覚悟で春日部へ転居しました。また、精神医療センターや妻の勧めで岩槻断酒会へ入会しました。お酒を止めて2・3ヶ月が過ぎたころに、うつ病が治って来ました。頭の上に乗っていた鉄カブトのような重い物が無くなり、頭がサッパリしました。本当に、地獄の苦しみが消えました。
先生に相談すると「お酒と薬を飲んでいると薬が効く訳がありません。お酒を止めたから精神状態が良くなったのです。薬の数を少しずつ減らしていって下さい」との言葉でした。
本当にお酒を止められたのは断酒会のお陰です。家族会の人が言いました。「会に通っていればどうにかなりますよ」と、どうにかなりました。語るは最高の治療、例会場は私の治療場です。
止めて良かったこと①50歳で止めたので、解雇にならず60歳で退職金を頂いた②健康になった③寿命が延びた④新車を買った⑤持家を売ったがまた買った⑥信用が少しずつでてきた。⑦仲間ができた⑧お金を遣わなくなった⑨仕事を休まなくなった⑩生きているのが楽しい。まだありますが割愛いたします。
私の断酒の心得①例会通い(語るは最高の治療)②家に酒類は置かない(冷蔵庫にビール一本置かない)③調味料は置かない使わない(ミリン・料理酒)④酒は毒⑤夕飯は18時迄に済ます(満腹にすれば飲みたくない)⑥諦める(私は50歳で一生の分を飲んでしまった)
最後に一日断酒、例会通いで精進します。