私は、3年前の5月に断酒会に入会させて頂きました。51才でした。
あの時、断酒会に繋がっていなければ、身体も心も底を付き、よく言われる、アルコール依存症の平均寿命52才、すなわち今頃はこの世に居なかったのではないかと思います。
私は大学卒業後、建設関連の会社に就職し営業職として働き出しました。仕事柄、酒を飲む機会は、かなり多かったと思います。会社内外の人間関係を構築していく為に酒は私にとって最強の武器でした。実際、仕事をしていく上でかなり、役にたってくれた事も事実です。ただ逆に言うと気持ちが弱く素面では思う事もうまく言えず、そこには酒の力を借りて話しをしている別の自分がいたのではなかったかと思います。そしてまだ若かった事もあり、体力、気力、酒に対する緊張感もあり、その頃はいわゆる、うまくコントロールして、酒が飲めていたのだと思います。その後何度かの転勤を経、結婚もし、子供も2人授かりました。私の身心に異変が起こり始めたのは、40歳を前にした頃です。
東京本社勤務時に大合併があり、その作業の為、月の残業200時間超え、土日も出勤という日々が、約1年連き、鬱病とパニック障害を発症したのです。あまりの辛さに、毎日、毎日、死んでしまいたいと思いながら薬と酒を飲みながら過ごしていました。
その当時、鬱病は今と違って「怠け病」とのイメージがあり、体育会出身の自分が、頭は良くないが、精神力、根性だけは強い思われたい自分がいて、鬱病だと会社には言えず、内緒のまま何とか自分とまわりを騙して通院しながら仕事を続けていました。そして、酒の飲み方もこの頃から変わってきたと思います。元来、気弱な所にもってきて、引っ込み思案ときており酒を飲む事によって陽気にもなれ、俄然元気が出て虎の威を借りる狐だったものの、酒に対する緊張感も段々薄れて行き、仕事で飲む事は仕方ないとしても、自分に対するご褒美として帰宅後一人で飲む様になっていました。何故こんな風に朗らかにしてくれるのか、自分を癒してくれる上に楽しくしてくれるのか、もっと心地良い酔いの中に浸りたくて、どんどん酒の海の中に真っ逆さまに落ちて行くのに時間はかからなかったのです。そして、50歳を前にして、酒気帯び遅転事故をお越してしまいました。
鬱病の薬と酒を飲み続けていた私は、うまく睡眠が取れなくなっており、寝酒をする様になっていました。事故をお越したのは、土曜日の朝でした。金曜日の夜は翌日が休日という事もあり深酒をして、午前2時頃に寝たと思います。翌日、午前8時頃に目覚め、預けていたクリーニングを取りに行こうと思い、車を乗り出しました。その時私は、1晩寝ているのだから酒は身体から抜けていると思い込んでいました。そして家の近所の交差点で衝突事故をお越したのです。幸いにも先方は軽症ですみました。私は現場検証を受けた後、警察官から「運転手さんお酒臭いですね。飲んでいませんか?」と、言われるままに検査をされ、そのまま現行犯逮捕され、手錠を掛けられ、それから1週間警察に留置されました。
約25年勤務した会社も、温情で自己都合退職となり失職。この事故が原因だったのだと思います。母親が1ヶ月後に急死しました。妻、高校、中学生娘2人を路頭に迷わせ、私が留置場にいる間、被害者の家に行き土下座をしお詫びまでしてくれた妹夫婦には、言葉では言い尽くせない迷惑をかけてしまったと思っています。
普通はここで、酒に対する猛省をし、自分の足元を見つめ直すのでしようが、「こうなったのは、会社のせい、うつ病を理解してくれなかった妻のせい」と、自分がおかしいのではなく全てを人のせいにして、勝手に自暴自棄に、そして自虐的になり、酒の地獄に落ちて行きました。何もかもが疎かに投げやりになり、おかしいと気づいた時には、もう止まらない身体になっていました。頭のてっぺんから足の先まで、身体の中の細胞という細胞が、酒を求めていました。
たった一口だけでもいいから飲みたくて、飲みたくて、身体の中に流し込みたくて・・・。刹那の感覚だったと思います。とうとう、そんな状態のままアルコール専門の与野中央病院に入院する事になり、アルコール依存症と病名をつけられました。最初は、酒で呆けた頭の中、何も考えられず、気持ちだけがどんどんどん底に落ちて行き、生きた心地がしなかった事を思い出します。入院生活は3ヶ月間でしたが、本当に酒が止められるのか不安の中での退院でした。すぐに断酒会に入会させて頂き、例会の中で体験談を話しながら仲間の話しを聞き、自分のこれまでの生き方を見つめ直す機会を持つことが出来、今まで何とか断酒継続ができています。一人では断酒ができないと聞いていましたが、おかげさまで私は断酒会に人会して以来いつも会員、家族会の皆様から希望と勇気をもらっています。
酒で失った物は沢山ありました。が、酒を断ち連ける事で、少しずつですが、取り返せた物もあります。仕事、運転免許証、心配をしてくれた学生時代の友人との繋がり。そして、離れていた家族との距離。あと、人間らしさ。断酒会に人会してまだ3年半ですが、これからも迷惑をかけた家族、父、妹夫婦、そして、周りの人たち感謝と陳謝の気持ちを忘れず断酒継続をする事で少しは償いが出来るのではないかと思っています。そして、一日断酒、例会出席で、仲間を大切に生きていけたら、油断は大敵ですが、断酒継続が出来ると信じて生きて行ければと思っています。
これからも宜しくお願い申し上げます。